世界史って、めっちゃ面白い!
この1年で色々勉強しましたが、学生の時からのギャップとしてもっとも面白かったのが世界史の勉強でした。これからのグローバル社会を理解するためには必要だ、リベラルアーツだとか意識高い系(?)のうざい感じで始めたんですが、いざ本を読んでいると「こんなに世界史のことが好きだったっけ?」とすごい前のめりになる楽しさです。なんでこんなに楽しいんかな?って思うぐらいハマっています!
※サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福 Kindle版より
自分がなぜこんなに楽しめるのか?それは一重に「受験勉強ではないから」です。でもその「受験勉強ではないこと」というのがこんなに楽しいこととは思いませんでした。その「受験勉強ではない面白さ」って何なのでしょうか?
受験勉強じゃないから、ある程度主観でもいい
学校の歴史の教科書に書いてあったことはほとんど、「正しいこと」です。学校で教える以上当たり前ですが間違っていることを教えてはいけません。正しいことを教える必要があります。その「正しいこと」というのは「広く知られている、根拠のある事実」になります。
これは教科書という点では重要なのですが、読む方は面白くない。というのも教科書が事実の羅列になってしまうからです。古代バビロニア文明のハンムラビ法典のことで言えば、「目には目を、歯には歯を」が有名です。教科書で読んだ記憶では、バビロニアでバビロン捕囚が行われて、ハンムラビ法典があって、ハンムラビ王が作った法律です、みたいな話が続きます。
「ハンムラビ法典」というのは古代バビロニアという当時の巨大な王国を維持していくために必要でした。というのも、法律のような「皆が従うルール」がなければよく知らない隣人と一緒に暮らすことなんてできません。ある日自分の財産が奪われるかもしれないし、殺されることだってあるかもしれない。そんな中で生活するのは嫌ですよね?
その中で「一定の法律の元で、協力しましょう」というルールを作ったのがハンムラビ王でした。国を維持するために法律を作る、というのは今では当たり前のことですが当時はとても画期的なことでした。
その中で人種を3つに(上流自由人、一般自由人、奴隷)と男性と女性の6つの区分に分けていて待遇も違います。現代の日本人から見れば不平等なものに見えますが、当時は先進的で公正であると信じられていましたと言われています。
でもこれが本当に公正だと人々に信じてもらえていたのかは今ではわかりません。残っている文書や記録から間接的に証拠を集めることができます。ですが身の回りを見てみるとわかるように、公式な場ではいいことをいうけれど影では「正直こんなことやりたくないんだけどねー」みたいなことを言っているかもしれません。あくまで残っている資料を頼りに歴史を読み解くしか今の私たちにできることはないんです。
でも教科書は「正しいこと」しか書くことができません。だから資料として残っている史実のみを記載していく形になってしまう。結果的にカタカナの名前がひたすら並ぶ無味乾燥な文章になってしまうんですよね。
今は本を読んだり人の話を聞いたりして勉強していますが、「正しい」ことだけを伝える必要はありません。著者の主観や想像が入ったりする。もちろん事実を積み重ねた上での推定ですが、想像の余地がある分、生々しい人々のリアルが見えてくる。「ああ、あのとき勉強したのはそういうことだったのか!?」って腑に落ちる瞬間が気持ちいいですね。
年号、人物を覚えなくていい
世界史の勉強で一番辛かったのが、「カタカナの名前の暗記」です。古代ローマ帝国周りは本当にわかりづらいですね。あと途中でローマ帝国がコンスタンティノープルに遷都したりすると「え?コンスタンティノープルってどこだっけ?」ってなります。途中でフランク王国ができたり、ケルト人がどうこうとか、十字軍がエルサレムにいったかと思えばその時アッシリア王国が戦争で弱体化してたから1回目は成功した?え?アッシリア王国だった?とか結構むちゃくちゃになります。コンスタンティノープルってどこなんだよオイ!
ただこういうのは本を読んでるだけなら覚えなくていいです。その時「面白いなー」って思って終わりでいい。本当に印象深かったら勝手に覚えています。そういう気楽さが性に合っているようです。
想像することが楽しい
僕が一時期働いていたマレーシアではイスラム教徒が大半を占めているのですが、正直なんで東南アジアにイスラム教徒が多いのかよく分かっていませんでした。
イスラム教の始まりを紐解くと極めて実利に基づく宗教出会ったことがわかります。そしてイスラム教とキリスト教の勢力争いは常にありましたが、11世紀ぐらいまではイスラム教が優位でした。中東諸国も強大な力を持ち、広域なエリアで商売をしていました。その時に、東南アジア諸島にも中国に行くまでの中継地点として寄っていた。現地人は喜んで彼らを迎えます。何しろ航海には色々なものが必要なのでいい値段でいろんなものを買ってくれる。そしてやってくる人たちは海で商売している、色々な珍しいものを持っている人たちです。そういう人たちに現地人も興味が湧いてくる。どうやら1日に何回も拝んでいるらしい。。。というような形でイスラム教が広まったようです。
これってすごくロマンチックじゃないですか?「海の男に憧れてイスラム教になる」わけです。確かにマレーシアでも断食のシーズンに「お前も断食やって真の男になれよ!」とか言われましたし(いやだったので1回もやりませんでしたが)、イケてるかっこいいものだったんではないでしょうか?そんな人間の生きた風景が浮かんでくる感覚が面白いですね。
「自分の視点が低い」ことが痛快
世界史を勉強すると「最近、グローバルがどうこうとか言うけど、2000年前からユーラシア大陸ではグローバルだったよね」と感じます。中東でもヨーロッパでも侵略したり侵略されたりで民族が入り混じっています。グローバル化社会に対して苦手意識を持つことも、日本は長らく世界の隅っこでひっそりとやってたからなんじゃないかと。そりゃあ日本語しか喋れないよ。
そういう「日本中心の世界地図」ではない視点を理解できることも「この歳でこんなことも知らなかったのか?」としびれます。すごく楽しいです。
世界史好きな人と語り合いたい
僕はまだまだ初心者ですがこういうマニアックな話を語り合えるぐらいに勉強して、そんな知り合いができたらいいなあ。ハリーポッターについて語り合う人でもいいので募集中です。ではでは!
※「サピエンス全史」は上巻を読み終えました。狩猟民族と農耕民族のところが面白かったです。下巻も読むよ!