ネット上で物議になっている昨年末の「笑ってはいけない〜」の差別的な表現および暴力表現についてです。
僕もPCを操作しながら流し見していましたが、千鳥のバスのくだりとかモノマネリアルフェイスとか面白かったです。
一方でベッキーのくだりや途中の邦正いじりは見ててつらかったです。ベッキーなんて不相応なぐらい制裁を受けていたのに、「禊」といって暴力を振るわれているのはいじめと構造が同じでぞっとしました。ケラリーノサンドロビッチの「室温」に相当する不気味さです。その辺りはこのシリーズでお決まりの暴力表現なのでそういった批判や、いやだったら見なかったらいいじゃん論争は置いておいて。
ブラックフェイスのネタが物議を醸しているのは、正直に言って驚きました。差別表現云々ありましたが、何の知識もなしに見ている分には差別表現が使われているとは思いませんでした。ネットのコメントを見ていると少なからずそういった印象だったかと思います。
ですが、下記の文章を読んでみると自分の感覚が欧米諸国の感覚からずれていることが分かりました。
正月の民放番組で感じた「人権後進国」日本(駒崎弘樹) - Y!ニュース https://t.co/Rtoelv6f80
— たけとけた (@jastaway03) 2018年1月4日
【なぜ黒塗りはダメなのか】
このように、日本を愛するアメリカ人の方が深く傷つく理由。
それは、黒塗りが、「ミンストレル・ショー」(Minstrel Show)で使われていて、それが黒人差別の歴史の象徴だからです。黒塗りはなぜダメ?日本人も知っておきたい「ミンストレル・ショー」の歴史
https://matome.naver.jp/odai/2142588365040232201
wikipedia.org より
wikipedia.org より
ミンストレルショーは、1840年代から半世紀に渡って盛んだった、白人が顔を黒塗りにして、歌って踊る娯楽です。内容は、黒人を無知でずるくて、怠け者で滑稽で・・・と黒人の人間性をからかい、ステレオタイプを助長させるものでした。
メイクも、真っ赤で分厚い唇など、黒人をカリカチュアしており、これもまた差別的なものでした。
今では当然、こうした差別と偏見の過去は恥ずべきものとして否定され、タブーとなっているのです。
多くの日本人は「そんな過去は知らない」「そんなつもりは無い」と言うでしょう。
しかし、例えばアメリカ人が「ヒロシマの人の真似」と言って、焼けただれボロボロになった格好をして笑いを取っていたら、我々はどう感じるでしょうか?
僕はそんな過去は知らなかったですし、「実際にそんなに傷つくものなのか?」という感覚でした。
一方で外国の方の記事を読むと、ブラックフェイス = 差別表現 という暗喩となっていることが分かります。反省です。
じっくり読めてないけど、日本が好きな人でも擁護しきれないっていうとこは読み取れた。Japanese Comedian Under Fire Following Blackface TV Skit https://t.co/cvwK3eBksN via @ComicBook
— たけとけた (@jastaway03) 2018年1月4日
「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安 https://t.co/aFnzKUbhAC
— たけとけた (@jastaway03) 2018年1月4日
今回の件で僕ができることは「全然違う背景があるんだ」という無知に気づくことです。
もちろん「そんなのは知らなかった」と言うには遅いかもしれません。ですが無知であることを理解して、今回一つ学べたと考える。もっといいのはさらに人権問題について学んでいくことです。そうやって彼らがタブー視している背景を理解した上で、「じゃあどうしようか?」っていう話をしたほうがいいのかなと思います。
ネット上の反論は自分が持っている知識だけで理論武装しているので前提条件が噛み合っていないようですし、「じゃあわかったダメだって言うならもうやめとこう」と自粛するのも変だなって感じています。本質を理解できていないままだと、第二第三の類似の差別表現を使ってしまう可能性があります。僕自身も感じたことを何点かツイートしましたが今考えると論点を抑えることができていなかったです。彼らが過去にどんな差別を受けてきていて、どんなことにトラウマを感じるのか・寄り添うことができるのかを学べるいい機会だと今は捉えています。せっかく僕たちがあまり知らないことだと気づける機会なのだから、それこそ池上彰さんのよくわかる解説とかで歴史を紐解いて共有してくれないかなあ。
以上です、自戒を込めて。ではでは!
(執筆時間40分)