たけとけたと片付かない部屋

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「仮面ライダーゼロワン」最終回感想、人はAIと学び合い、良きパートナーとして共存していける

 仮面ライダーゼロワンが8/29に最終回を迎えました!最終回、本当に面白かった。その面白いというのも、伏線が綺麗にまとめ上げられてとか、大円団で終わ流だけではない、作品の根底に流れる違和感を保ったまま製作陣の伝えたいものを形に仕上げてきました。COVID-19の影響で総集編に1ヶ月半切り替えた後の鬼気迫る怒涛の展開からの、これしかないと言われてたどり着いた最終回。戦いのラストと、エピローグに込められた想いにこの1年の想いを馳せずにはいられませんでした。

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仮面ライダーゼロワン | 仮面ライダーWEB【公式】|東映

仮面ライダーゼロワンが描く、AIとの共存

仮面ライダーゼロワンに込められた、AIと共存するとはどういうことか?

そのアンサーとして、以下の2点で締めくくりました。

  1. 人間とのAIは学び合いながら成長していける
  2. 人間はAIの特性に合った形でパートナーになれる。

 1点目は苦くも爽やかな感覚に、2.は違和感を感じつつも、未来を感じさせてくれる、様々な思いを込めた最終回だったなと。

 心地悪いザラザラしたものがありつつも、爽やかな一つの到達点に満足している自分がいる。1年間作品を続けて変わったもの、変わらなかったものが印象的な最終回でした。公式のコメントでも、「ゼロワン」が下した結論は、すべて最後の或人と滅の戦いの中に詰め込まれています、とありますね。

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 無事最終話までの撮影完了と仕上げを終えたときは、本当に嬉しかった。そして、こんな事態を受けたからこそ、今回の物語の結末を迎えた気がしています。「ゼロワン」が下した結論は、すべて最後の或人と滅の闘いの中に詰め込まれています。

 

こんな時代だからこそ、少しの優しい“心”が人を救う。

そして、その逆もまた真であり、少しの醜い“心”が簡単に人を傷つける。

でも、心があれば、人間にはそのどちらも選ぶことができるはずです。

 仮面ライダーゼロワンは仮面ライダージオウの次の仮面ライダーとして、令和初のライダーとして放送がスタートしました。デジタル世界の010(れい)1(わん)という当て字による、平成ライダーを感じさせない、新しい仮面ライダーを作る気合の入った作品。仮面ライダーゼロワンのデザインからも原点回帰とも言えるスタイリッシュさと、黒子に仮面を貼り付けた「よく見ると怖い」デザインを見て、新しい時代を感じずにはいられなかったです。

AIとの共存とは、学び合いによる成長

 その仮面ライダーゼロワンのテーマである「AIとの共存」。ヒューマギアと呼ばれる人工知能搭載ヒト型AIが、世の中に普及した時に人間とAIは共存できるのか?ゼロワンはAIとの共存した社会はどうなるのか?という点を、人材不足の現場へのヒューマギア派遣業、お仕事5番勝負などを通じて、寿司屋の板前、建設業、医師、不動産営業といったヒューマギアが仕事をしたらどうなるのか?という仮説を立てて実証していきます。

 ヒューマギアは俳優さんが特徴あるヘッドギアとカラーコンタクトをつけて演じており、人間に極めて近いロボットとしてヒューマギアは描かれます。なので視聴者としては、ヒューマギアという異物感も割とすんなり受け入れられる絵柄になっている。

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 一方で、ヒューマギアは悪意あるプログラミングをラーニングすることで暴走、怪人化してしまいます。これを退治するのがヒューマギア派遣業会社の社長で仮面ライダーの飛電或人(ひでんあると)。「お前を止められるのは、オレだ」が決め台詞で怪人化したヒューマギアをどんどん破壊していく。

 当初からこの構成に大きな違和感がありました。仮面ライダーである或人は幼少期にヒューマギアに育てられたことで、ヒューマギアに愛着を人一倍持っている。ヒューマギアが悪意あるラーニングを受けそうになったときは体を張って守ろうとするんです。それでも怪人化してしまったヒューマギアは泣く泣く破壊する。これはすごくわかる。

 でも破壊した後に、同型のヒューマギアをすぐ復元してしまうんですよね。もちろんヒューマギアは機械なので、工場で再生産してしまえばいいわけです。でもそれでいいの?って思ってしまう。さっきまで愛着を持っていたヒューマギアを壊して、都合の良い形に再生する。それって本当にいいのか?と。

 これに対するアンサーが、「ヒューマギアが心をラーニングする」ということでした。ヒューマギアが喜怒哀楽の心を学び、それを通じて、夢や使命、正義、信念を知ることで他者からの悪意あるラーニングに対抗する手段になると示します。物語中盤では悪意に飲み込まれないヒューマギアも出てきて、いずれも心があるが故に悪意に呑まれずに復活する場面が増えてきます。

 と同時に、心があるが故に人間の悪意に触れて悲しみや怒りが増大し、暴走するヒューマギアも出てきます。正義を信じるが故に怒りが溢れ、夢があるが故に絶望し悲しみに暮れて、反転してヒューマギア自身が悪意を生み出せるようにもなってしまいます。

そして最後にたどり着いたのが、悪意そのものを破壊するという結末です。

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 最終回では、武器の並ぶ殺伐とした風景で全面戦争が始まる雰囲気の中、或人が仮面ライダーアークワンに、滅が仮面ライダー滅アークスコーピオンとそれぞれ悪意を持ったアークの力を受け入れて変身します。そこで繰り広げられる様々な武器を使った戦い。過去に使用してきた武器を使うことで一年間の戦いを思い出させる展開。

 そのあとに駐車場でうってかわって殴り合いの戦いになる。プロレスの応酬のような、お互いに攻撃を受け合う、思いをぶつけ合うように戦う。そして、滅の攻撃によって、或人はアークの呪縛から解き放たれる。その殴り合いのやり取りの中で、滅も自分が心を学習したことを理解します。

 そこから仮面ライダーゼロワンリアライジングホッパーへの変身。からのアクロバットアクション。今作の目玉であったエフェクトと実写を織り混ぜたアクションを余すことなく展開して、1話と同じく敵を打ち上げてからのライダーキック。一つ違うのはヒューマギアを壊さずに変身ベルトだけを壊す。

 人間が悪いわけでも、ヒューマギアが悪いわけでもない。その心の機微において生まれてしまう悪意こそ戦うべき相手として、或人は悪意に飲まれた滅を壊さずに悪意を打ち倒す。

 「お前を止められるのは、オレだ!」といいながらヒューマギアを壊すしか手段のなかったゼロワンが、人の心を教え、その意味を理解させることで、最後にはヒューマギアを壊さずにヒューマギアを救えるようになる。という展開。一年間かけて結末を変えるのは、やはり仮面ライダーの醍醐味ですよね。積み重ねることで、最初は見えていなかった世界が見える。戦い終わりのシーンは、苦しみを背負いながらもスポーツの試合の後のような爽やかさを感じさせるシーンでした。

人間同士ではない、人間とAIとしてのパートナーシップ

 エピローグでは1話のシーンに戻ってきます。映像を写す空気船、画像認識で社長を認識する秘書型ヒューマギアのイズ、衛星ゼアを使ってラーニングする或人とイズ。

 違うのは、終盤で壊されてしまった或人の秘書型ヒューマギアであるイズの記憶がなく初期化されていること。これにあるとは、電脳空間で「ちゃんと教えるから」と言う。第1話で或人にイズが仮面ライダーゼロワンのチュートリアルを教えるように、です。

 ここで1つ引っかかります。それは、「新しいイズをイズと名付けていいのか?」ということです。

 というのも、機械としてヒューマギアを見なした場合には新しいイズをイズと名付けることには何の違和感もないはずなんです。ルンバが壊れてしまって、新品を買っても別の名前をつけないだろうし、車も車種で呼ぶだろうなぁ、とも思います。元々イズは社長用秘書型ヒューマギアなので、型式も同じで役割も同じであれば、やはり「イズ」なんだろうと思う。

ただ、なんだろう、妙にゾワっとするんですよね。

 ゾワっとする要因の一つは女優が演じていることが影響しているのだと思います。設定上はヒューマギアという機械なんだけど、演じているのは人間なのでどうしても人間に容姿が近すぎるというのはある。絵的には「禁忌を破って生命を復活させた」とも見えて、ものすごく不健全なんです。 

  もう一つの要因は、「イズという個体は記憶に紐づけられているはずなのに、記憶がなくなったらそれはイズなのか?」という疑問です。

 ここで或人の考えるヒューマギアとの関係性が色濃く現れている。物語序盤から、「ヒューマギアは壊れてもまた教えなおせばいいから、それがヒューマギアなんで」という思想できている。ヒューマギアに愛着もあるし、雑に扱われれば怒る、でも壊れて初期化してしまったものはまた設定し直す。

 これってぬいぐるみや人形のようなキャラクター性のあるものより、パソコンやスマートフォンの感覚なんですよね。自分の思考や作業をサポートしてくれて、愛着をもってデコレーションしたり、好きなアプリをインストールしたりする。壊れたら修理するけど、初期化しないといけなければゼロからやり直してアプリをインストールし直す。バックアップをとっていれば、そのままインストールすればいいので5分でセットアップ完了、バックアップをとっていなければ時間はかかるけど1から、ということなんだろう。

 これは僕らのこれからのテクノロジーとの関わり方を表しているのかもしれません。僕なんかは高校生の時に二つ折りの携帯電話を買ってもらって、友達と競うようにメールしたり、着うたをダウンロードしたり、女子と電話して通話料がひどいことになって、それを友達に自慢したり、なんせ青春を語る上で携帯電話は欠かせないものでした。携帯も新しいものに買い替えては、新しい写真を取って、新しい友人と連絡をとって、大学生になって、メーリングリストでサークル仲間とやりとりして、スマートフォンに変えて、twitterでふざけあったりして、、、

 携帯電話やスマートフォンのように考えると、ヒューマギアも普及すればその機種を変えながら人間に寄り添うパートナーとなっていく。そうやって、或人はイズと接していく。だから、「社長秘書型ヒューマギア」としてのポジションはイズしかいない。だからデータが初期化されても、筐体を復元しても、或人との隣にいるのはイズ、ということなんだなぁ。そう考えるとラストの或人とイズの掛け合いは、将来うまくやっていけそうな雰囲気があって、とてもいいです。

『仮面ライダーゼロワン』イズ役・鶴嶋乃愛、ラストシーンはアドリブ「本当にやりたいことを…」(マイナビニュース) - Yahoo!ニュース

 ただ、それはあくまで理屈の話で、見た目が人間に酷似していて自律的に思考もできるヒューマギアのようなものが目の前にいた場合にそうやって全て割り切れるものでもなくなってくるんだろうなあと思います。今の価値観ではザラザラした思いを抱かずにはいられない関係性というか。

 それでも、例えばスマートフォンが普及し始めた時に話題に上がったように、デジタルネイティブと言われる子供のころからそれらのテクノロジーに触れてきた人にはその関係性も違和感がないのかもしれません。ヒューマギアに育てられた飛電或人だからこそ、その関係性をすんなり受け入れられるように。

そうするとこの考え方も老害になるのかぁ、歳はとりたくないものですね(汗

 

AIとよきパートナーとして共存する未来へ

 ヒューマギアと人間の関わり方を色んな側面から見せつつ、ヒューマギアとの向き合い方は新しい技術を受け入れ、一緒に経験を積んでいける明るい未来を描いたのはさすが仮面ライダーでした!

  • 人間とのAIは学び合いながら成長していける
  • 人間はAIの特性に合った形でパートナーになれる。

という落としどころ、いやぁ、面白かった。自分の価値観を揺さぶられるような展開もありいい作品でした!

 COVID-19の影響を受けながらも、1年間無事に終えれてよかったです!本当に唐突な最終回になるんじゃないかとヒヤヒヤしながら見ていましたが、良くも悪くも世相を反映しながらその時代の作品となっていくのはよかったですね!

僕が死ぬまでには、AI搭載型アンドロイドと生活する未来を体験したいなあ。

次回作の仮面ライダーセイバーも、ゼロワン劇場版も楽しみです!

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ではでは!